二.優しいお師匠さま

半刻ほど歩いて着いた宿場町。それなりに栄えているようで道幅は広く、左右には旅籠や茶店、食事処などが軒を連ねている。
町の出入り口で足を止めていた番神は宿も飯も期待できそうだと一歩踏み出したが、腕をくいっと引かれ、足を止めた。
振り返るとぜぇぜぇはぁはぁ呼吸の荒い少女が座り込んでいて、そこで細い腕を掴んでいたことを思い出す。

(こいつ、何も言わねぇから忘れてたぜ)

番神は手を離し、少女をまじまじと観察した。
本当にみすぼらしいし、汚いし、臭い。あの女衒はよく勃ったものだ。
道中置き去りにすればよかったのだが町まで来てしまった以上、ここで放置してしまうとこの小娘が喚いて自分を探し回るだろう。撒くのなら次の町へ行く途中だと決めた。
その間はこちらが恥をかかないように最低限まともな格好をさせなければならない。
まずは風呂へ行くか――いや替えの着物が必要だ。
番神は少女の二の腕を掴んで無理矢理立たせ、彼女を引きずるようにして商店へ向かった。

商店は大体いつも賑わっているため、初めて訪れた宿場でも比較的見つけやすい。
しかし、今はまだ早い時間ということもあって人がまばらでなかなか見つからない。
歩き回って探してもよいが、一応思春期である番神は小汚い娘と共にいるところを見られたくなかった。
あまり気が長い方ではない彼は、商店が見つからない苛立ちから徐々に顔つきが険しくなっていく。
そんな番神の耳にケンケンと乾いた咳の音が入り、彼は首をぐりんと動かして振り返った。

「あ……ごめっ、なさっ……」

番神に見下ろされた少女はビクッと体を揺らして謝罪するもすぐに再び咳込む。
転ぶことなく必死についてきたのだ。喉も渇ききって咳が出るのも仕方がない。
このまま連れ回すと商店へ着く前に倒れてしまいそうだ。
番神は舌打ちを漏らし、少女を小脇に抱えると先ほど通り過ぎた茶店へ向かう。
開店したばかりでまだ客のいない軒先で緋毛氈の敷かれた長椅子に腰を下ろし、隣に少女を座らせた。
二人が腰を落ち着かせた頃合いを見計らい、お茶を持ってきた売り子に適当に注文をして番神は湯呑みを受け取った。

「ん、」
「……僕の分、ですか?」
「お前のじゃなかったら差し出してねぇよ」
「あ、ありがとう、ございます」

こわごわ受け取った湯呑みは熱く、少女は慌てて緋毛氈の上に置く。
そして袖の中に少し手を引っ込めて布地越しに湯呑みを掴んだ。
手の皮が厚い番神はその一連の動作を見て、これが熱いのかと無意識に湯呑みを擦る。
そういえば彼女の名前を知らない。
番神は、隣でふぅふぅと緑の水面に息を吹きかけている薄汚れた横顔をじっと見つめた。

「名前は?」
「えっ」

急に話しかけられたからか、名前を聞かれると思っていなかったのか、少女は短く声を上げると目を丸くして番神を見返す。
その反応に思わず番神が眉を狭めて難色を示すと、少女は肩をすぼめて答えた。

「わた……僕、って言います」
「あ?なんで名前だけなんだよ。姓はどうした」

その言葉に少女――は初めてしかめ面を見せ、嫌悪感を顕わした。

「僕を売ったから、あんな家の名前なんて要りません」
「……へぇ」

の返事に番神は口角を上げる。
血縁や情に捉われない姿が少し自分と重なり、番神は初めてこの少女に僅かな好感を抱いた。
お茶が飲める温度になり、は目を細めてコクコクと喉を鳴らす。
よっぽど喉が渇いてたようで、ぷはっと息を吐いて口から離された湯呑みは飲み干されていた。

「お待ちどおさま」
「わぁ……!!」

人心地ついたところで売り子が団子を乗せた皿を番神に手渡す。
この店では生地の中に餡を包んでいて、小振りな四玉の餡団子を串に刺していた。
皿の上にはそれが二本あり、は番神の手元を覗き込んできらきらと瞳を輝かせる。
団子なんて四つか五つくらいのころ、親の気まぐれで一度だけ食べさせてもらっただけだが、甘くて美味しかったことを覚えている。この団子もさぞかし美味しいだろう。
目の前にある二本の団子を見つめ、はごくりと生唾を飲んだ。
二本あるが自分の分はないかもしれないと思うと手が出せず、見続けることしかできない。
しかし、その思いとは裏腹に、番神は物欲しそうに食い入っているへ皿を差し出した。

「一本食え」
「……!!ありがとうございます!!」

は嘘か聞き間違いかと一瞬固まるも皿は確かに差し出されていて、礼を言い切る前に団子を一本手に取った。
すぐさま一番上の団子を口に含み、串から引き抜く。

「ん……、んん~~~」

もちもちと弾力のある生地は咀嚼によって裂け、口内で餡と混ざり、甘さと少しのしょっぱさが舌を幸せにしてくれる。
あまりの美味しさに思わずうなり声が出て、ゆっくり味わいたいのに空腹のせいか体は次を欲していた。
あっという間にぱくぱくと三つ食べたに倣い、そんなに美味いのならと番神も一つ口に入れた。

(……うめぇが、甘すぎるな)

宿場町であるから疲れている旅人向けに餡を甘めにしているのだろう。
体力が人一倍どころか三倍ほどある番神は現在全く疲れておらず、彼にとっては歯を溶かすような甘さが口に残るだけだった。
まだ三玉残っている団子を皿に戻し、お茶を一口飲んで甘さを消す。
そろそろは食べ終えただろうか、と横目でうかがうとそこには団子の生地がこびりついた竹串片手に番神が残した団子をじっと見ている姿があった。

「食いたきゃ食え。俺の食いさしだがな」
「お兄さんはお団子嫌いなんですか?」
「今は食いたくねぇだけだ。それとその呼び方やめろ」
「あの、お名前は……?」

そういえば名乗っていなかったな、と番神はまっすぐに見つめてくるへ顔を向けた。

「戌亥番神だ」
「いぬい、ばんじん……」

やっと知ることのできた恩人の名を忘れないように何度も小声で繰り返し、はにこっと笑う。

「お団子いただきますね、師匠!」
「……」

名前を聞いてきた意味はあるのかと呆れつつ、団子を喉に詰まらせて目を白黒させているへお茶を渡す番神であった。



は腕に抱えた風呂敷包みをチラッと見て顔を緩めた。
中には新しい着物一式や浴衣、手拭いや草鞋など身だしなみに最低限必要な物が詰め込まれている。
前を歩いている番神が買い与えてくれたもので、嬉しさのあまりは何度も何度も彼に礼を告げた。
もっとも番神は汚いと行動を共にしたくないだけであるが。

(師匠はとても優しいなぁ……)

女衒から助けてくれて、お団子とお茶を御馳走してくれて、更には着物等を与えてくれた。
もしかしたら仏様が人間の姿になって助けに来てくれたのかもしれない。

(強いから多分、師匠は不動明王様だ!)

は抱えている風呂敷包みの下で、番神の背中にそっと両手を合わせて拝んだ。
まさか崇めている相手が道中で自分を撒く算段だとは思わずに。

「着いたぞ」
「大きい……」

足を止めた番神の隣にいそいそと並びはどんと構える湯屋を見上げる。
貧乏な村の家に生まれたは、今まで薪がもったいないとの理由で入浴はほとんど川で済ませていた。
冬場はさすがに川に入らなかったが、お湯で湿らせた手拭いで体を拭くだけで、熱い湯にとっぷり体を浸けたことなど皆無である。
そのため、入浴の作法は全く知らない。
なんだか緊張してきて、は番神に体を寄せてぎゅっと斑模様の服を握った。

「いいか?お前は女湯に入れ」
「ぼっ僕、男です……!」
「俺はお前を男として扱うがな、周りは女としか見てねぇよ」
「……」

汚らしい着物でも柄から女性物だとわかる。
が“今日から男になる”と宣言しても番神との間でのことで、周りは知る由もない。
であるから、公共の決まりには従わなければならない。

「師匠……僕、湯屋は初めてで入り方がわからなくて……」
「そこらへんのねえちゃんにでも聞きな」
「あっ……」

番神に服を掴んでいた手を払われ、は眉を下げた。
払い落された手は痛まなかったが、嬉しさで膨らんでいた気持ちがチクリと針で刺され、少しの痛みを伴って萎む。
肩を落とす暇もなく、は先に暖簾をくぐった番神に続く。

(うぅ……)

早い時間でもそれなりに客がいて、室内で他人と近しい距離にいたことがないは、体を縮こませてきょろきょろと落ち着きなく瞳を動かした。
そんな彼女を放置して(というより気に留めていない)番神は、番台に座る妙齢の女性に二人分の代金を支払い、体を洗うための洗い粉が包まれた手拭いを借りる。

「ほら、お前はあっちだ」
「……ぐすっ」

番神から洗い粉入りの手拭いを風呂敷包みの上に置かれ、は突き放された心細さから鼻をぐじゅぐじゅと鳴らす。
そんなに助け舟を出したのは、番台の女だった。

「お兄さん、その子まだ小さいし一緒にお入りよ」
「はァ?!俺が!?」
「そうだよ、連れなんだろう?……お嬢ちゃんもお兄ちゃんと一緒がいいよねぇ?」
「うん……」
(このクソガキ頷きやがった!!)

頬を伝う涙を拭いながら首を縦に振るに番神は眉を吊り上げる。
弟子だとかほざいておいてこちらの指示に従わないとはどのような了見なのか。
ましてや人前で泣いている。
「兄弟喧嘩?」など外野の声もちらほら聞こえ、まるで自分が悪役になったような気がしてきた。
番神は大きく舌打ちをするとに渡した手拭いを取り、顎で男湯の暖簾をしゃくる。

「しょうがねぇなぁ!行くぞ!」

の返事を待たず、苛立ちから大股で男湯へ向かう番神。
ピリピリとした雰囲気を発する背中には委縮するも、右も左もわからない湯屋で一人になるよりかはましだ。
は番台の女に頭を下げ、番神に続いて男湯の暖簾をくぐった。

2023.04.29