三日目。
番神は当たり前のように今日ものいる医院へとやって来た。
しかし、彼女の姿はどこにも見当たらない。
(ここに泊まってるって言ってたよな)
もしかしたら院内にいるのかもしれないと思い、番神は医院の外壁に沿って歩き始めた。
一つ一つの窓を覗いて確認し、一番奥の部屋まで来たところで漸くお目当ての人物を見つける。
どうやら診察室のようで、こちらに背を向けている白衣の男と向かい合って座る、それと先日見かけた女性の姿があった。
いつになく真剣な面持ちで頷いているを見て、番神は怪我の具合がよくないのだろうかと心配になる。
(この間、投げちまったし……)
思わず前のめりになって額をガラスに当てる。
じっとを見ていると彼女の背後に立つ未と目が合った。
未はにたぁといやらしく笑みを見せ、の肩をとんとんと叩いて窓を指さす。
「あ!」とでも言ったのだろう。
が口を丸く開き、こちらに背を向けていた男が振り返った。
席を立ったは窓に駆け寄って来て、ガラス越しに番神へ笑顔を向ける。
心底嬉しそうなにつられ、番神もその相貌にしては柔らかい笑みを浮かべた。
そんな二人を直接合わせようと、未は診察室から外へ続く勝手口を開ける。
「番神くんよね?どうぞ~」
「あ、ウッス」
未に促され、番神が勝手口へ移動すると鏡合わせのようにも勝手口へ行き、入ってくる番神を出迎えた。
「おはよう!今日は早かったね」
「あー、早かったか?」
「少しだけ。今ね、怪我を診てもらってたの」
「んで、具合はどうなんだよ」
洋靴を脱ぎ、未から渡された上履きを履いた番神は心配そうな眼差しでを見つめる。
「の怪我は治ってるよ。気持ちの問題さ」
番神の問いに答えたのは、くたびれた白衣を着た無精髭の男だった。
男は煙草に火を点け、ゆっくり味わうように吸う。
「また怪我をしたらどうしようとか思っちまって動けなくなってんだ。てか兄ちゃん筋肉すげぇな。同じ武闘家ならに乗り越える方法でも教えてやってくれ」
彼は番神の肩にポンと手を置くとそのまま勝手口から外へ出て行った。
「えっとね、さっきの人が丑寅先生で、こちらが看護師の未さん。私がお世話になってる二人なんだ」
「……どうも」
「未です。番神くんのことはちゃんからたぁくさん話を聞いてるから、話せて嬉しいわぁ」
「未さん、余計なこと言わないでね」
「えー?余計なことって……例えば番神くんが大型犬みたいで可愛いとか?」
「わー!!!」
大きな声を出し、慌てて未の口を塞ごうとする。
その反応から本当に番神のことを大型犬みたい、と話していたことがわかる。
犬で、しかも可愛いと思われていたなんて何とも言えない気持ちになってしまう。
気持ち悪いと言われるよりはよいが、男らしいとかかっこいいの方がよかった。
少しばかりシュンとしている番神を見て、未は本当に犬みたいだなと吹き出しそうになる。
「ほらほらちゃん、番神くんと逢引してきなさいな」
「「逢引?!」」
「お昼はここで食べましょ。あ、海とか行ってきたら?」
未に言われ、が横目で番神をうかがうと番神もを見ていて目がかち合った。
二人とも何に対してなのかわからないが、お互い軽く頷き、ひとまず今日は海へ行くことにする。
番神は勝手口で洋靴に再び足を通し、は医院の玄関で踵の低い編み上げ靴を履く。
そして医院前で合流した二人は足並みを揃えて近くの海へ向かった。
青空と青い海、そしてちらほら異人が海水浴を楽しんでいる。
番神とは特にすることもなく、砂浜に並んで座り、ぼんやりと海を眺めていた。
五分ほど経ち、海を眺めるのも退屈になった番神は隣のへ目を向ける。
「なぁ、怪我は本当に治ってんのか?」
番神の問いには眉を下げ、困ったように笑った。
「先生も未さんも治ってるって言うから、治ってるんだと思う。でも……前みたいに上手く動かせなくて」
「怪我してどんくれぇ経つんだ?」
「一月半くらいかなぁ……刺されちゃって」
「刀傷なら治ってそうだが」
「うん……けど、痕が残ったから、それを見る度に刺された時のこと思い出しちゃって」
「まぁ俺も腹斬られた時はヤベェってなったし、治ってからも身構えるよな」
「え?!お腹斬られたの!?」
「おう!内臓飛び出るかと思ったぜ!!ハッハー!」
さらっと恐ろしいことを言って高笑いする番神には若干引いてしまった。
自分より酷い怪我なのに彼はどうやって立ち直ったのだろう。
気になって尋ねると番神は当時を回想しているのか目線を空に向けた。
「どうやって立ち直ったか……俺、前向きだしな。生きてたからいいかって思ったくらいだぜ」
「え……それだけ?」
「だってよぉ、怪我の痕が残るってそりゃ生きてるからだろ。死んだら治んねぇし」
「それはそうだけど……」
「いっぺん刀に勝ったんだから次も勝てるって」
それは遣い手にもよると思うのだが――
けれど相手の得物で怪我を負っても生きていれば、より正確な間合いがわかるようになるし、どこからどんな攻めが来るかの想定を増やせる。
番神は自分で前向きと言うくらいだから怪我をしても自身の糧として立ち上がっているのだろう。
番神との会話で、は自分が後ろ向きな考えになっていたことに気づく。
今すぐには立ち直れないかもしれない。
けれど今回の気づきで自身を客観視しやすくはなったはずだ。
それも番神のおかげでは感謝の意を込めて隣の彼を見つめる。
空を見上げたままの番神は頭上を舞うトンビを目で追っていて、何も考えてなさそうだった。
トンビの旋回に合わせて黒目を動かす彼の姿は本当に犬みたいで可愛らしく、の頬は緩んだ。
昼食を丑寅と未と摂った二人は、馬車道に来ていた。
食事の席で番神もも横浜観光をしていないと告げたところ、丑寅と未から「横浜に来たのなら“あいすくりん”を食べろ」と言われたのである。
氷とは違う冷たくて甘い菓子“あいすくりん”は東京の麹町でも売られているが、横浜が発祥地であるため二人から猛烈に押されたのだ。
卵黄、砂糖、生乳だけで作られた“あいすくりん”。
は“あいすくりん”を知っていたが、食べようとは思っていなかった。
高額だからである。
しかし番神は意外にも乗り気で、食べに行こうと誘われたためは首を縦に振った。
懐は確実に寂しくなるがはまだ番神と共に過ごしたかったのだ。
馬車道の氷水屋の前では番神の背中にピトッと体をくっつける。
“あいすくりん”一つで金二分(現在の八千円)ということもあり、店には上等な衣服をまとった日本人や異人が多く、あからさまに場違いであった。
すっかり委縮して背中に張り付くが可愛いとキュンキュンしながら、番神は「ここで待ってな」と言い残して店へ入る。
一人残されたは番神に渡しそびれた財布を服の上から押さえ、彼の戻りを待った。
少しして店から出て来た番神の手には、小さなガラスの器に入った“あいすくりん”が一つ。
彼の手が大きいせいか一層小さく見えて、これで金二分かと思うととんでもないものに手を出してしまったのでは、とは青ざめる。
一方の番神は特に気にしていない様子でに手招きをし、店の外にある作りつけの腰掛
は警戒する猫のように恐る恐る近づき、ぎこちなくその隣に腰を下ろした。
物珍しさから首を伸ばして番神の手の中の“あいすくりん”を観察していると、ずいっと差し出される。
「ちょ、ちょっと待って、お金……」
「いらねぇ」
「え?!お財布の紐緩すぎるよ!?」
「チッ……快気祝いだよ」
番神はそう吐き捨てると空の左手での右手を引き、底の冷たいガラスの器を握らせた。
これまた取ってつけたような理由で奢られてしまったは、さすがに高額すぎてあたふた目を白黒させる。
そうやってもたついているうちに手の熱でじわじわと“あいすくりん”が溶けていく。
それに気づいた番神は瞳を細めて意地悪く笑った。
「食わねぇとどんどん溶けるぜ?」
「うぅっ……」
「俺がに食わせてやりてぇって思ったんだから遠慮すんなって」
「……ありがと」
「おう」
番神は何気なく言ったのだろうが心臓に悪い。
は自分の頬が赤くなるのがわかり、それが番神にばれないように手櫛で髪の毛を垂らして隠した。
番神からの厚意を甘んじて受けることにし、は匙で“あいすくりん”を掬う。
この量でいくらくらいするのだろうと考えてしまうと、の手はぶるぶると震えた。
「くくっ……手の震えヤバすぎだろ」
「だ、だってぇ!」
「いいから食えって。ほら、早く」
「いっいただきます……!」
掬った“あいすくりん”を零さないように慎重に運び、は匙を口に含んだ。
「ん……?んん~!!」
一番先に冷たさ、次にしゃりっとした食感、そして口内の熱でとろっと溶けた“あいすくりん”は素朴な甘さを伝え、はうっとりとした顔になる。
番神は彼女のとろとろな笑顔に甘酸っぱい喜びを感じた。
怪我のことで気落ちしているように見えたが少しでも元気になってくれれば──ほんの気休めにしかならなくても番神はそうしたかったのだ。
(しっかしマジで可愛いな、こいつ)
は元々食べることが好きなのだろう。
いつも何を食べてもにこにこと笑顔を浮かべるものだから番神も悪い気はせず、つい色んな食べ物を食べさせたいと思ってしまう。
いや、ただ自分が彼女の笑顔を見ていたいだけだ。
が落ち込んでいると自分も嫌な気持ちになるし、が嬉しそうなら自分も嬉しい。
青臭い思春期のような感情に少しばかり嫌気がさすが、こればかりはどうにも制御できない。
ただ自身の欲に従い、彼女をつぶさに観察しているとふいに目が合って“あいすくりん”の乗った匙を向けられる。
「ね、半分こしよ?さすがに一人で食べるのはちょっと……」
「気にすんなっつっただろ」
「うー……番神とも共有したいんだもん。……ダメ?」
「っ……ダメ、じゃねぇよ」
「よかったぁ!じゃぁこれ……あ、」
「?」
「ご、ごめん。同じ匙とか嫌だよね……」
もう一本借りられないかな、と肩越しに窓から店内を覗く。
番神は彼女の匙を持つ手を掴んで軽く引くと顔を寄せて“あいすくりん”を口に入れた。
「ば、番神……」
「つめてぇな」
「う、うん……おいしいでしょ?」
「……あぁ」
本当は味なんてわからなかったが、頬を赤くしたが気の抜けた笑みを向けて来たので番神も笑い返して同意する。
夏の日差しのもと、二人は“あいすくりん”と穏やかな時間をゆっくり味わうのだった。